皆で歓びの調べを歌おう
年末と言えば、第九交響曲「歓喜」合唱付きですよね。
今日、趣味で第九を歌っている人と昼食をご一緒したところ、興味深い悩みをお聞きしました。
曰く、「最近、メンバーとの間で、歌そのものじゃなくて、歌うことその姿勢について意見が対立する」とのこと。
以下は、その断片。
「合唱を歌う人ならわかると思うけれど、声が出るようになると、壁を乗り越えた気持ちになって、すごく歌うことが楽しくなるんですよ」
「楽しいのと同時に、もっとうまくなりたい。もっといい声を出したい。もっともっと感情を込めたいと思うようになるものです」
「昔はメンバーが対立する原因と言えば、『キミの声の出し方は俗で下品だ』とか、『歓喜の歌の情感にはもっと誇りが入るべきだ』とか、歌の内容が主でした」
「でも、最近は違います」
「バリトンがバリトンらしく声を出すと、『そんな本格的に歌っては、初心者がついていけないから、少し遠慮してくれ』とか、『なにも原語で歌う必要はないわけで、飛び入りで誰にでも歌えるように日本語訳で歌うべきではないか』とか、そんな議論になってきています」
「私たちは、ベートーベンの歓喜の歌が歌いたいと思って、彼が書いた譜面をもとに、彼が想定しただろう歌い方に近づけているつもりです」
「でも、少しでも多くの人に歓喜の歌を歌ってもらえるように、誰にでも歌えるポップスのようなアレンジの方がいいんじゃないかとさえ言う人が出てきました」
「敷居を低くしなければ、誰も一緒に歓喜の歌は歌わない。上手くなるために頑張ろうなんてそんな姿勢が見えたら、誰も仲間にはならない。そう言うのです」
「そう言われたら、私は何も言えません。
だって、仲間がいなくては、合唱は歌えないのですから」
「でも、すず黄さん。
ベートーベンは、そんなに敷居の高い音楽を作ったのでしょうか?
歓喜の歌は、皆が無理をして苦労をして、こんなに脈々と歌われてきたのでしょうか?」
「私には、うちの若いメンバーが言う「もっと敷居を下げないと、わざわざ誰もついていかないよ」という言葉が、「自分が上手く歌えないのは、自分よりも上手い人がいるせいだ」と言っているように聞こえてなりません」
「いえ、そもそも、歌うことに上手下手はないとさえ言う人もいるんです。趣味で歌うなら、自分が満足できれば、それでいいと。そのためには、上昇志向の持ち主は、邪魔なんだそうです」
「歓喜の根源には、かならず壁がある。その壁を乗り越える事に、歓喜が伴う。
だからこそ、どんな音楽でも、そこに至ることができれば、貴族も庶民もなく、
皆平等に歌うことへの歓喜が訪れる。
ベートーベンの「歓喜の歌」は、まさにそれを歌っているというのに」
僕には、合唱の苦労や合唱することの辛さを知りませんから、その悩みについてはなんとも言えないのですが、話の内容にいたく感動いたしました。
いや、本当、実に面白いお話でした。
模型と比べては恐縮ですが、まさに考えるモデラーのジレンマと同じです。
ディテールアップをすることが、趣味としての敷居を上げ、初心者が入りにくくしている。
上手くなろうと切磋琢磨することが、楽しんでいる人の気持ちを遠ざけ、模型人口を減らしている。
どうせ趣味なんだから、おおらかに楽しまなくては、大人の趣味じゃない。
どれも、よく聞く言葉です。
「もっと敷居を下げないと、わざわざ誰もついていかないよ」
本当にそうなんでしょうか?
本当に、皆がディテールアップパーツや資料を捨てれば、この趣味の魅力は上がるのでしょうか?
模型を作り上げる歓喜は、本当にそんなところに生まれるものなんでしょうか?
ま、そんなごたくはさておき。
やっとこさ、タミヤ1/48タイガー1を入手しました。
メーカー発送から5日遅れの入荷です。これだから、大分ってのはぶつぶつ。

キットへの不満を言い出したらキリがないわけでして。
ますは、心配したダイカストシャシもその重量感に満足です。
おそらく、1/48という慣れないスケールのこの小さなトラでも、完成すれば1/35のトラと同じく、大いなる歓喜に包まれることでしょうなーんてカッコつけてシメてみたりなんかしちゃったりなんかしてー。
| 固定リンク
「モデラー的たわごと」カテゴリの記事
- マネっこメグちゃん(2006.03.23)
- 模型は演歌だ(2006.03.20)
- 迷走しても必ずそこに出口が(2006.03.19)
- 三月は猿なんぞと申しますが(2006.03.11)
- 原点に帰って遊んでみる(2006.03.07)


コメント